2018年だからこそ見るべき坂本裕二作品 〜『問題のあるレストラン』〜
「『いい仕事』がしたい、ただ、いい仕事がしたいんです。 ドキドキしたいんです。 手に汗を握って息をするのも忘れるような、そんな瞬間に出会いたい。人生ってきっと、地位や名誉やお金ではない。人生はどれだけ心が震えたかで決まると思うんです。」(『問題のあるレストラン』#1)
『問題のあるレストラン』は21世紀の新しい「居場所と幸福」の物語である。
人間嫌いのシェフ、「オカマ」、自信がない東大出、……
以上はこのドラマの登場人物に対する表現だが、これらはおそらく正しくない。
登場人物の表現がしづらい(もしくは、今ある言葉で表現しづらい)ことは現代のドラマにおいて非常に重要な要素だと感じる。
テレビドラマは社会を映すとはよく言われたものだが、人間性や人生観が多様化した現代において、登場人物がシンプルなフレーズで表現できないのはそのドラマが鋭く社会を映していることの表れだろう。
そんな多様な登場人物たちは、主人公の田中たま子(真木よう子)にビストロの開業に誘われる。
ビストロfouのメンバーたちは誰かのための「居場所」を運営しながら自らの「居場所」をも獲得していく。
そんな自らの手によって「居場所」をつくることは21世紀の生存戦略として非常に正しいものであると感じる。現に、たま子などの登場人物は既存の社会にある誰かによって作られた「居場所」には馴染めなかったものたちばかりだからだ。
ここで、「仕事」は「居場所」を持続可能にしていくことにすぎなず「居場所」の持続可能性は「幸福」に繋がる。
つまり、たま子そしてその仲間たちの「幸福」は「仕事」と密接に結びついているのである。
ここに働き方改革や社会福祉だけでは超えられない壁が存在する、と感じるのは私だけだろうか。
最終回、ビストロfouの人間と<他者> との新たな出会いが描かれる。
臼田あさ美演じる鏡子は<息子の彼女>と、二階堂ふみ演じる結実は<「成功」しているかつての同級生>と、松岡茉優演じる千佳は<腹違いの弟>と。(加えて、最終回の終盤で繰り広げられる「恋バナ」とはいつか出会うべき<他者>についての話だ。)
また、ビストロfouの閉店の要因になったのも顔が見えない誰か(=<他者>)のクレームだ。
坂本裕二は<他者>がいないと「居場所と幸福」も存立し得ないが、その「居場所と幸福」を崩壊するのも<他者>の存在だ、という批評性のあるメッセージを残したように感じる。
これから我々は、地域社会に支えられた地縁的共同体(=「居場所」)や終身雇用性(=ライクダイニングサービス!)に支えられた昭和的共同体(=「居場所」)が崩壊した社会を生きなければならない。
誰もがビストロfouのメンバーたちのように見知らぬ<他者>と出会いながら「幸福」を築いていかなければならないだろう。
そうした時代にたま子のように「心が震え」させることができるようになりたい。