とうきょう、ときめくめくるめく。

96年生まれ、東京・高田馬場在住のサブカル戯れ日記。

『ドラえもん のび太の宝島』 脚本/川村元気

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 劇場版『ドラえもん のび太の宝島』は気鋭のヒットメイカー、川村元気を脚本に迎えたことで話題となっていた。例年、DVDもしくは配信でチェックしていた自分も今年は劇場まで足を運んだ。

 現状それほど評判のよくない川村元気脚本の『ドラえもん』だが自分はうまくいっていたと感じる。

 そもそも、今回の『ドラえもん のび太の宝島』(以下,『宝島』)は1998年に公開された『ドラえもん のび太の南海大冒険』(以下 ,『南海大冒険』)をもとにしている。

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 『南海大冒険』との主な違いとしてまず、しずかちゃんと賊長の娘セーラとの交流が描かれることがあげられるだろう。
 
 セーラとしずかは共に船内の食堂で働く。その食堂はマリアという女性のもとで運営されており、船内では一応「治外法権」だとされている。
 思えば『ドラえもん』は非常に男性的な作品だったのではないかとふと思った。しずかちゃんがシャワー室を覗かれるシーンや着替えるために草むらに隠れたりするシーンは劇場版『ドラえもん』だけに関わらずシリーズを通じて頻出する。また、しずかちゃんの存在自体がのび太の獲得するべき女性性を担ったキャラクターがためにしずかちゃん本人の幸福に関しては、『結婚前夜』のエピソード以外多くは描かれてこなかった。

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 しかし、今回は明らかにしずかちゃん個人の幸福な姿が描かれる。「いまどき」の女の子らしく同世代の友人とフレンチトーストを食べるしずかちゃんは極めて新鮮だ。
 この交流を通じて川村元気は現代性をともなったしずかちゃんというものを描くことに成功していた。

 また、賊長の息子の描かれ方も『南海大冒険』と異なる。『南海大冒険』で描かれた賊長の息子であるジャックはのび太よりも年少で少年性が強い。対して、『宝島』で描かれたフロックはすでに海賊船においてメカニックとして働いており、劇中では天才メカニックだった亡き母親の才能を引き継ぐ存在として描かれる。
 

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 ジャックに比べフロッグは父親に対してコンプレクスを抱く年頃であり、今作ではそのコンプレックスによる葛藤が大きな主題と結び付いている。そして、そのコンプレックスを克服するものこそが他でもない母親から引き継いだメカニックの才能だった。 『「のび太の」宝島』という表題ながらもっとも鮮烈に描かれるのはフロッグの成長であった。

 そんなフロッグに比べドラえもんは存在感が薄い。ドラえもんがポケットからひみつ道具を出すはやさよりもフロッグがコードを書き換える方がはやく、ドラえもんがのび太にからかわれるシーンまである。

 自分の横に座っていた女子大生と思われる二人組は終演後「フロッグのプログラミング的なやつ、あれすごかったね.......。私も見習わなきゃ。」と感想を語り合っていた。*1

 加えて、衝撃的なことにドラえもんは冒頭においてインターネットの存在を認める。注意しなければ聞き逃してしまうくらい唐突に認めるが、フロッグの能力と合わせて考えるとここでも川村元気が『ドラえもん』という作品に現代性を伴わせようとした努力が伺える。

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 おこのみボックスやほんやくこんにゃくなど、ドラえもんの道具のいくつかが「すこし」も「ふしぎ」でなくなった現代において今回の川村元気の試みは結果として『ドラえもん』という作品がもつ射程を保つことに成功したと感じる。

 それは、たしかに従来のかたちとは異なるかもしれないが『ドラえもん』がもつ想像力そのものが色褪せることはないだろう。私はこれまでのドラえもんよりも、これからのドラえもんに期待し続けたいと思う。
  
 

*1:「SF」に頼らなくとも自らがクリエイトできる世代ならではの感想であり、おそらく川村元気はこのような時代性に自覚的だ。