とうきょう、ときめくめくるめく。

96年生まれ、東京・高田馬場在住のサブカル戯れ日記。

『国境のない時代』出演/坂道AKB

 

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  「<少女>たち」が現代は「国境のない時代」だと歌うこの曲は革命的だ。

 そもそも、<少女>と<国家>は本来、コインの表と裏だった。社会学者の宮台真司は『サブカルチャー神話解体』のなかで近代における<少女>の出現についてこう分析している。

明治末から大正にかけて確立した、イエから世間そして大日本帝国へと連続する<秩序>のあり方に、対応していると言っていい、<少女>は「清く正しく美しく」という<理想>の受容を媒介として、この<秩序>と一体化したのである。(略)<少女>は確かに性からは隔離されていたが、しかしまさにそのことによって、性を一般的に日陰のものとする帝国の<秩序>と一体化していたのだ。

 この<少女>と<国家>の関係性は、70年代から90年代にかけての戦後サブカルチャーによって<少女>そのものの存立不可能性が証明されたとともに、解体されたというのが宮台氏の有名な主張だ。

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彼女たちの足下に引かれた無数の線は、かつて人為的に引かれた国境線を象徴している

 ただアイドルという資本主義の鬼子はこの社会に、(まがいものの)<少女>というものを再び提示した。アイドルは(建前としては)「性からは隔離」されている存在であり、「清く正しく美しく」をテーマにしている。

 再び我々の目の前に現れた<少女>はその存在そのものをして、<国家>というものを否定している。そして、彼女たちの身体はSHOWROOMやyoutubeによってセカイへと浮遊することができている。

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 この、坂道AKBというプロジェクトは注目に値する。作詞家・秋元康は度々、自己言及/メタ的な作詞をすることが指摘されている(アイドルに対しての『アイドルなんて呼ばないで』『清純フィロソフィー』、またアイドルのコミュニケーション/体験的消費に対しての『太宰治を読んだか』、『ハートエレキ』などなど)が、坂道AKBとして発表している2曲はどちらも共に高度な自己言及に成功している二曲だ。

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 坂道AKBシリーズ1曲目の『誰のことを一番愛している』はアイドルを推すという、成熟に辿りつかない無限ループ的(メビウスの輪)な恋愛に対しての曲であり、『国境のない時代』は先述したよう、<国家>が我々のメンタリティーのなかで存立不可能になった現代の<少女>たちと<少年>(=ファン)に対しての曲である。

 80~90年代懐古主義的なこの国の文化空間において、我々ミレニアル世代の心情を直接的に刺激する秋元康と、それを体現する<少女>たちが今後どのような未来を提示してくれるのか、非常に楽しみである。